一記一遊ブログ

大学生活の中で起こった日々の出来事を日記形式で書き溜めていくブログ。現在1回生。

高3の思い出と焼き鳥

今日は昨日と同じような過ごし方をしたこともあって、あまり書くことがないので再びの自己紹介回にしようと思う。

現在僕は大学の1回生で、今年の春先に大学入試を経験した。高校生時代は、進学校に通っていたため、周りに賢い人が多く、僕は勉強面では全く目立たない中の上ぐらいの位置にいた。自分で言うのもなんだが真面目な方で、高校3年間毎日欠かさず日記を書いていたのは人に自慢できる思い出だ。書き始めた動機は、小学校、中学校と上がる中で、懐かしさを感じるものや記念のものなどをダンボール箱に入れた「思い出ボックス」を作っていたのだが、それがかなりパンパンになってしまっていたので、そういった思い出を1冊の日記にまとめたらコンパクトになるのではないかと思ったからである。この前部屋の片付けをした時に高校版の思い出ボックスを作成したが、結局箱がパンパンになってしまった。日記はなんだったんだ。

入試の話に戻ろう。今年の入試は去年などに引き続き、まだコロナに対して警戒していないといけないという環境だった。実際去年の秋にあった最後の文化祭ではその後コロナのクラスターが発生して学年閉鎖になるというおおよそ受験生たちとは思えないようなふるまいをしていた学年だったが、周りの人がどんどんダウンしていく中で、なぜか僕は生き残り、感染を免れた。文化祭のクラス劇で「免疫細胞」の役をやったからじゃないかなどと言っていたのも今では懐かしい。

そのまま大きな病気もすることなく、共通テストも終え、2月末の2次試験に向けて勉強をしていたのだが、試験を来週末に控えた火曜日、授業中になぜか全身の震えが止まらなくなった。別に寒さを感じる訳でもない。流石におかしいと思って熱を測るも平熱。はっきり状況が分からないものの、保健室の先生の、熱が上がる兆候かもしれないから大事をとって帰ったらという言葉に素直に従って従って帰ることにした。すると徒歩10分の下校の間に熱が38度ほどまで上がってきており、何らかの病気なのだろうと家に帰ってから確信した。病院の発熱外来で検査をするも、インフル、コロナ共に陰性。そんなはずないだろうと思うも、陰性が出てしまっているので、当然決定的な治療薬は処方されず、解熱剤だけが渡された。ちょっとした絶望。この熱の苦しみが2、3日継続するという可能性が高まったからである。しかしまだ希望はあった。インフルの検査は発熱から1日程度経ってからじゃないと陽性が出ないというのだ。今日はちょっと早かっただけかもしれない。明日もう一度検査を受けて、陽性ならいい薬がもらえるだろう……。

その夜になって、当時高1の弟も発熱しだした。僕からうつったにしては症状が出るのが早い気がする。同時感染というやつか、などと推測を重ねる。

翌日、今度は弟も一緒に検査した。するとどちらもやはり陰性となった。しかしここで謎が大きく進展する。父親がもしかしたら食中毒的なやつでは、と言い始めたのだ。

確かにその3日前ぐらいに焼き鳥屋で焼き鳥を食べていたのだが、その中に若干火の通りが甘かったものがあったのだ。医師にそのことを話してみると、納得したように「カンピロバクターやね。」

カンピロバクターとは牛や鶏など多くの家畜の腸管内に常在する菌で、加熱や乾燥によって死滅する菌である。食中毒になると、下痢、腹痛に加え、発熱や悪寒なども引き起こす。鶏肉の加熱不足によって起こる例が多いらしい。ドンピシャじゃん。医師からは抗生物質やら下痢止めやらを処方された。こういう具体的な薬を出されると安心してしまうのは僕が単純な人間だからだろうか。

その時はまだ下痢はひどくなかったのだが、その後症状が激しくなりなかなか苦しかった。そんなわけで弟と一緒に寝室で1日を何もせずに過ごすということをしていた。これが入試1週間前である。意外と焦りは大きくなかったな。ここまできたら本番じゃなくてよかったなという気持ちになってポジティブな精神状態だった。実際そんなところでは勉強ができるはずがなく、ほとんど1週間ゴロゴロしていた。一応言っておきますが、病気で、ですからね。

もう一つ問題があった。入試前は学校が休みとなり、各自で調整する期間となるのだが、僕が休んだ期間のうち1日だけが、これまで通り出席をとる日だった。そう、僕はその日まで高校3年間皆勤賞を継続中だったのである。それがこのカンピロバクターによって1日だけ欠席となり、皆勤賞を逃してしまったのである。許すまじカンピロバクター。許すまじ焼き鳥!

そんなわけで焼き鳥は僕の中の好きな食べ物ランキングからは半永久追放となった。味が美味いのは認めるが絶対に好きな食べ物にランクインすることはない。

皆さんも生焼け鳥にはご注意ください。